宮里藍が好きだった物

優さんが子供たちにゴルフを教えたのは、特訓してプロにするためじゃなかったんです。ゴルフをプレーすることで人間としての礼儀とか、マナーとか、自分ではない他の人への思いやりとか、そういうことを学ばせたかったのです。だから、ゴルフに夢中になって勉強をさぼったりすると、宮里を物凄く叱ったそうです。

ゴルフをしたかった宮里は、父の言いつけどおり勉強にも精を出します。しかし、「子供の頃、好きだったのがピアノです。ずっと習っていました。本気でピアニストになりたいと思ったこともありましたよ。それに父は時間があると、展覧会に連れて行ってくれたり、クラッシックの演奏会に連れていってくれたりしました。それに読書ですね。朗読会に参加するのを勧めてくれたのも父です」と語るように、ゴルフと勉強に一生懸命な宮里に、優さんはゴルフ以外にもさまざまな興味を喚起させてくれました。

宮里藍と父2

現在の彼女を培っている最大の要因を知っていますか?それは、彼女の父親でありレッスンプロとしてゴルフを教える宮里優さんの存在です。「それに、やっぱり、藍さんを育て上げたのはお父さんですよね。お父さんは、私にとって、私たち家族にとって本当に特別な存在なんですよ。ゴルフの楽しさも厳しさも教えてくれたのはお父さんですから。私が迷ったときには必ず適切なアドバイスをくれます。これまでどんなことでも父に相談してきたし、これからも相談していくと思います」と言うように父・優さんの存在は大きい。


子供時代、宮里藍は、父からゴルフを習っていた二人の兄(聖志と優作)のあとを追いかけるようにして遊んでいました。四歳になる頃、遊び道具としてゴルフクラブを握っていたそうです。強制とか英才教育というようなものは全くなく、ゴルフは本当にただの遊びでした。しかし、素質は抜きん出ていました。小学校に入学する頃には、彼女にとってゴルフはなくてはならないものになります。ところが、父・優さんは彼女に、ゴルフは二番目だよ。今、一番大事なのは勉強だ、と言って、学校の勉強を疎かにすることを許しませんでした。

宮里藍とゴルフブーム

今、女子スポーツ界が熱い。特に、最近の女子プロゴルフ人気は、本当に凄い。宮里藍プロ、横峯さくらプロの二十歳コンビの若いパワーが空前のブームを後押し、テレビの視聴率も、広告起用率もまさにうなぎ上りだといいます。さらにゴルフ会員権相場も上昇しています。特色として、親子鷹、あるいは家族が一丸となってヒロインが誕生するケースが多いと思います。練習環境も特殊だし、競技を続けるには資金面のハードルも高い。世界レベルで闘える選手になるためには、幼いころより、才能を見出し伸ばせる指導者も不可欠です。これだけの条件が揃うには、家族の全面バックアップが必須であり、好むと好まざるにかかわらず、親の介入度は深くなります。
新世代のヒロイン達は、勝ち得た栄光が、自分の努力だけではなく、家族の協力・犠牲が払われていることを、痛いほど感じています。だからこそ、勝利インタビューなどでは素直に感謝の意を述べるのです。スポーツ・ウーマンとしても、一人の人間としても清々しく、好感がもてます。とはいえ、成長段階において、反抗期は当然やってきます。思春期の父娘の微妙な関係が、マスコミで露呈されることもしばしば見受けられます。一流の戦いの裏に垣間見える、こんな人間らしさや、家族模様が、ブームを支えるもう一つのストーリーなのかもしれません。

宮里藍と父

宮里藍が一気に世界レベルまで技術をアップさせたのは、オフのスイング改造が成功した証しです。父親でコーチの優さんの指導でドロー(左曲がり)一辺倒のスイングを、フェード(右曲がり)も打てるようにしました。ドローボールは飛距離が出るという利点があるが、その分、ラン(転がり)が出過ぎて、ラフまで飛び込むこともあります。フェードボールはランが少ない分、落とし所を点で狙える安全な球筋です。ラフが浅い日本のトーナメントコースは、飛距離が出るドローボールが有利です。
でも、世界のコースの大半は、打ち分けが出来なければ好スコアにはつながりません。フェードボールの取得で、世界が一気に近づいたかもしれません。国内開幕戦のダイキンオーキッドでは「パットが最悪」で27位タイに終わりました。しかし、宮里藍と父・優さん親子は「ショットは相変わらず完璧です」と口を合わせた。

不動裕理

不動裕理(ふどう ゆうり、1976年10月14日 - )は、熊本県熊本市出身の女子プロゴルファーである。2000年から2005年の「6年連続」で日本女子ゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)になった。ルーテル学院中学・高等学校卒業
身長156cmと小柄な体格ながら、正確なショットと勝負強さには定評がある。日本女子プロゴルフ界の中でもずば抜けた安定感を持つが、後輩の宮里藍などに比べると雰囲気は地味で、寡黙なタイプの選手。往年の日本女子プロゴルフの名選手、清元登子に師事している。
1996年にプロゴルファーテスト合格。同年12月、「LPGA新人戦加賀電子カップ」でプロデビュー戦初優勝。2000年、日本国内女子ツアー史上初めて年間獲得賞金額が1億円を突破し、初の賞金女王(賞金ランキング1位)になる。2003年にはツアー新記録となる年間「10勝」を挙げた。獲得額は1億4932万5679円で、この年の男子賞金王伊沢利光を上回った。2004年7月、ツアー通算「30勝」を達成し、日本女子ゴルフ史上最年少記録となる「27歳285日」で永久シード権を獲得した。この年から宮里藍が強力なライバルとして出現する。同年の女子ゴルフツアー最終戦では宮里との一騎打ちを制して大会2連覇。2005年の「リゾートトラストレディース」で3位に入り、女子プロゴルフ生涯獲得賞金歴代1位となる。最終戦では大山志保と4打差の2位に終わって大会3連覇を逃したが、6年連続の賞金女王に輝いた。
海外メジャー大会での成績は、2001年の全米女子オープン12位や2005年の全英女子オープン15位などがある。